こんばんは、まめぶたです。
まめは、クオリティは突っ込まないで欲しいんだけども
できる限りお弁当は作っています(師匠のぶん)
お弁当箱を洗う問題は勃発しやすい問題だと思うけど
まめは普通に洗ってた。
師匠が出し忘れても、師匠のカバンをごそごそして出して洗ってた。
なんだけど、いつの間にか師匠が職場でお弁当箱を綺麗にしてくるようになった。
別にまめは洗うのが面倒ではあっても、不満だったわけではなかったし
それでお小言を言ったことも特にない。
急にどうしたんだべやw
と聞いたら
「綺麗にして帰った方がまめさんが楽かと思って」
と、平日の私の仕事量を見て
自主的にやってくれたようだ。
主婦の不満の上位に君臨する
「感謝して貰えない」
というもの。
非日常では、感謝されやすいけど
日常では、感謝されにくい
みたいなものはあって
どうしてもと、こちらが頼んでる訳じゃないんだからってパートナーに言い放ち
日常を支えてくれる人を蔑ろにする日本人。
だけど、師匠は
日常に感謝できる人なんだなぁと思ったんだ。
師匠は日常を支えてると思ってくれているんだなぁと思ったんだ。
だけど、こういうのって当たり前じゃなくって。
「やってくれてる人が喜ぶってどういうことだろう?」
って考えることができる人って本当に少ないんだ。
パートナーをちゃんと見ているってそういうことなんだなって学んだ一件だったな。
その頃から
自由に家庭の空間を過ごすことも大切だし
自由を縛られたくないと思うこともあるだろうけど
【どういう振る舞いが】
【いつも愛してくれるあの人を】
【幸せな気持ちにするんだろう】
って視点は捨てたくないと思ったんだ。
ちょっと疲れてて余裕がないときでも
チラッとそれを想う。
それが
価値観が違う他人同士の
【尊重】というとのではないだろうか。
と私は思うのです。
日常を大切にするというのは
自分で部屋を綺麗にすることだけではなくて
規則正しいルーティーンをすることだけではなくて
【日常を支えてくれる人を大切にする】
だと確信するよ。
それを踏みにじった自由なんて
まめは糞だと思ってる。
そんな糞を尊重するみたいな価値観は
どんなに頑張っても出てこない。
そういう価値観はまめの世界にはいらない。
そういう価値観は嫌いだ。
陰ながら
【日常を支えてている人たちへ】
いつもありがとうの気持ちを。
思いやりを。
行動で、言葉で伝えるってことを
まめはしていきたいと思うよ。
いつもありがとう。
いつもお疲れ様でした。
大切にしてくれる人のために
その思いやりを使ってくださいって思うよ。
「見返りを求めるな」って言うのも、それはそれで暴言だと想うのですよ。
— まめぶた@楽しく生きるのに精一杯 (@mamebuta5656) 2020年1月12日
思いやりのエネルギー交換は必要です。一方通行やらかしてるあなたがそれを言う資格がありますか?#まめぶた理論
思いやりは結局行動でしか示せない #まめぶた理論
— まめぶた@楽しく生きるのに精一杯 (@mamebuta5656) 2020年1月11日